眼科三宅病院沿革 – Vol.3 –

1978年(昭和53年)

三宅病院となってからの初の改築

1978年
三宅病院 初の改築
1978年(昭和53年)

眼内レンズの第一人者であったソ連のフィヨドロフ教授を招き、眼内レンズ(スプートニク)挿入術の指導を受けた。

1978年
フィヨドロフ教授、当院で手術指導を報ずる新聞
S53.6.4 中日新聞
1980年(昭和55年)

最初のMiyake Viewの実験

導入を開始した後房レンズの固定機序やループ(レンズ支持部)の形状の分析のために、豚の摘出眼を利用したシミュレーションが必要と考え、今日、Miyake View、あるいはMiyake-Apple viewと呼ばれている実験の最初の試みを連日深夜まで行った。
これは、眼内レンズの水晶体嚢での固定の様子を、眼球の内側のアングル(写真では机の下方から撮影している)から撮影したものである。Videoはまだなく、16mmフィルムによる撮影であった。
この一連の実験で撮影したフィルムは、後の米国白内障屈折手術学会(ASCRS)のフィルムフェスティバルでのグランプリ賞獲得につながる。
1983年 第1回 ASCRSフィルムフェスティバルでグランプリを受賞。Simco先生と
1981年(昭和56年)

極東アジアから短期留学生を受け入れる。
国内外での学会活動の影響もあり、この頃からインド・パキスタン・中国・韓国・フィリピン・インドネシア・ブラジル・イランなどからの短期留学生を受け入れた。1995年頃まで続き、30名近い若い眼科医が主に手術見学のために短期留学をした。

パキスタンからの留学生
1981年(昭和56年)

超音波白内障手術の広報活動を積極的に行った。