眼科三宅病院沿革 – Vol.4 –

1985年(昭和60年)

Philippine General Hospitalに手術室を寄贈

先の大戦中にレイテ沖海戦に参戦した寅三が、敗戦後フィリピンの密林で仮死状態でいたところをフィリピンのnative boyに一命を助けられたことに、妻千代(当時病院理事長)が、「何らかのお礼をしなくてはいけない」と言い、Philippine General Hospitalに眼科手術室を寄贈した。
(H1年10.14 中日新聞)
1986年(昭和61年)

手術室改築

1987年(昭和62年)
原氏、西氏と共にASCRS filmフェスティバルで3人同時受賞。Blumenthal氏と。
1988年(昭和63年)

三宅謙作、国際眼内レンズ学会(IIIC)会長に就任

スウェーデンのストックホルムで開かれた国際眼内レンズ学会(IIIC)で、Harold Ridley, C Binkhorst, Peter Choyce, Karl Jacobi, Robert Drewsに続いて六代目のIIIC会長に選出された。IIIC方針の一つに発展途上国への眼内レンズ知識普及を置いた。
S63. 10. 6 読売新聞
歴代の会長とともに

眼科三宅病院沿革 – Vol.3 –

1978年(昭和53年)

三宅病院となってからの初の改築

1978年
三宅病院 初の改築
1978年(昭和53年)

眼内レンズの第一人者であったソ連のフィヨドロフ教授を招き、眼内レンズ(スプートニク)挿入術の指導を受けた。

1978年
フィヨドロフ教授、当院で手術指導を報ずる新聞
S53.6.4 中日新聞
1980年(昭和55年)

最初のMiyake Viewの実験

導入を開始した後房レンズの固定機序やループ(レンズ支持部)の形状の分析のために、豚の摘出眼を利用したシミュレーションが必要と考え、今日、Miyake View、あるいはMiyake-Apple viewと呼ばれている実験の最初の試みを連日深夜まで行った。
これは、眼内レンズの水晶体嚢での固定の様子を、眼球の内側のアングル(写真では机の下方から撮影している)から撮影したものである。Videoはまだなく、16mmフィルムによる撮影であった。
この一連の実験で撮影したフィルムは、後の米国白内障屈折手術学会(ASCRS)のフィルムフェスティバルでのグランプリ賞獲得につながる。
1983年 第1回 ASCRSフィルムフェスティバルでグランプリを受賞。Simco先生と
1981年(昭和56年)

極東アジアから短期留学生を受け入れる。
国内外での学会活動の影響もあり、この頃からインド・パキスタン・中国・韓国・フィリピン・インドネシア・ブラジル・イランなどからの短期留学生を受け入れた。1995年頃まで続き、30名近い若い眼科医が主に手術見学のために短期留学をした。

パキスタンからの留学生
1981年(昭和56年)

超音波白内障手術の広報活動を積極的に行った。

眼科三宅病院沿革 – Vol.2 –

2代目 三宅謙作 院長

1972年(昭和42年)

三宅謙作(現眼科三宅病院理事長)副院長として着任

1973年
CBCテレビ出演
三宅謙作、三宅眼科に入った年
1975年(昭和50年)

三宅眼科を増改築し、眼科三宅病院に改組となった。15床→48床

1975年
眼科三宅病院として増改築
正面は、植木屋を囲みこんでいるような形となっている。
1975年
眼科三宅病院として増改築
航空写真、植木屋を囲み込むような形となっている。
1975年
新築眼科三宅病院手術室
1975年
手術室

同じ年に、初代三宅寅三院長逝去

1976年(昭和51年)

翌年、医療法人湘山会眼科三宅病院となった。

眼科三宅病院沿革 – Vol.1-

初代 三宅寅三 院長

1947年(昭和22年)

三宅寅三は、九死に一生を得て復員し、名古屋市立大学病院に復職、吉田義治教授のもとで、助教授を務めていた。

1953年
三宅寅三、名市大助教授時代吉田義治教授らと
1954年
開業直前の三宅寅三、名市大病院助教授の頃
1954年(昭和29年)4月

当時、名市大助教授をしていた初代院長の三宅寅三が、名古屋東大曽根に三宅眼科を設立した。当時の名古屋において眼科手術の第一人者であり、白内障嚢内摘出術、網膜剥離、角膜移植など、幅広い手術を行った。

1960年
三宅眼科で手術に情熱を傾けていた初代寅三院長
1958年(昭和33年)

三宅眼科増築 5床→15床

1960年頃の三宅眼科の全景
1960年頃の三宅眼科 航空写真
小学校の手前の建物
1960年(昭和35年)

愛知県アイバンクの前身組織を杉田慎一郎先生(眼科杉田病院の2代目院長)、不老会会長久野庄太郎氏らとともに立ち上げ、眼球摘出と角膜移植を積極的に行う。また、啓発活動にも情熱を傾けた。

1962年
初代院長 寅三 アイバンク問題でテレビ出演
1966年
初代院長 寅三